音の戸(Otonotobira)

2020.04.01 ジャンル:blog

otonoto手帳「今に至るまで''始まりの始まりからざっくり今''編」

レガシー峠(legacy pass) オリジナル曲(origin song)
*今に至るまで"始まりの始まりからざっくり今"編*

鹿児島県出身のサラリーマンの父と同じく鹿児島県出身のソフトボール好きのぽっちゃり母の間に次女として生まれる。
生まれは鹿児島県、育ちは大阪府堺市、神戸市在住。
(記憶が正しければ)年中くらいから小学4年生までヤマハ音楽教室のグループレッスン、小学5年生から小学6年生の夏まで個人の先生に習わせてもらい、母の病気のため小学6年生の夏より一人でピアノを弾き続ける。

*私の年代を推察していただく時代的背景としては...
中学の頃からCDレンタルが始まったので、バクチク(小さなCDもありましたよ)やNew Kids On The Blockを聴く傍、映画音楽やディズニー音楽をヘヴィロー(この言葉もこの頃にFM802で週替わりの曲を流す事を略して広まった言い方)していた。米米CLUBやサザンの稲村ジェーンのサントラなども聞いていたな。TVではちびまる子ちゃんが始まった。そしてローソンが日本に上陸し始めた。姉の影響でThe Beatles、Queen、stingなどの洋楽を主に。また小田和正さんなども聞いていた。
*なぜ音楽に惹かれて行ったのか...
中学2年生の文化祭で'ロミオとジュリエット'の後半ロミオ役をしたり、体育で映画音楽をBGMに使ったダンスに精力的に参加し先生方にそっと応援していただいたり友達と協力することの充実感や達成感、友達を大切に思う気持ちを体験させていただいたことや周りの人に喜んでもらえた事で、家庭の大変なことをなんとかするのは自分しかいないと思い込んでいた少女(笑)の心を解放してくれる時間をいただいたのだろう。映画音楽の壮大な世界観に救われていたのだろう。映画音楽を聞いていると違う世界に連れって行ってもらえたから大好きだった。ラジカセを机の上に置いて勉強するときも目の前のスピーカーから出てくる音楽にまみれていた。同時にピアノも最後の発表会で弾いた曲や宿題だった曲や父も好きだったTheBeatlesの数曲を弾き、ピアノの椅子(長椅子タイプ)の上で寝てしまうこともあるくらいピアノと仲良しだった。思い返すと音楽まみれだった...
*うそだーと言われるかもしれないけれど実は恥ずかしがり屋。なのに、音楽を人前で演奏することになった...
そんな中学時代を経て、自分の希望の高校に入学でき茶華道部に入りたかったが、その高校には無く。友達が軽音部やったらギター弾けるらしいでとの言葉にギター弾きたいー!となぜか強く思った。カッコイイと思った。クラシックギターがなぜか家にあった。そんなことも重なってか、茶華道部志望から一転、軽音部に入部。楽しく、同時に反抗期の(先生方にどんな風におもわれていただろうか...そっとしてもらっていたと今になると思います)高校時代が始まった。軽音部1年目は貸し出されるアコースティックギターの練習。2年目バンド組める。たしか2年の6月の水無月ライヴでバンドデビュー(バンドでは、エレキギターやベースを弾いたり歌を歌ったりキーボードを弾いたりしていた)。文化祭や、定期ライブにもだしてもらえるようになる(バンドのジャンルは、Rock,Hard core,under ground music,The Beatles,orijinなど)。懐かしい響きだな~。この定期的ないつも満席になる視聴覚教室でのライヴで人前での演奏や表現が当たり前になってきたのだと思う。外部でもバンドを組んだし、軽音部でない先輩と組んだりした。懐かしい~みんな元気にしてるかな...高校の近くにあった「青少年の家」のスタッフの皆さんにもお世話になったな~。時代を感じるな~。
このような楽しく充実した高校生活を過ごし無事に卒業。

今になって思うと、ただの言い訳だったと思うけど、音大に入りたい。それ以外は無意味。とロックを愛していたし、そんな勢いがありました。高3の時、音楽の先生が音大に入るには専門の先生に習わないといけないから…と教えてくださった。その先生はソルフェージュなんかの存在を教えてくださったり、授業以外でレッスンみたいな事もしてくださった。優しくしてもらったな…と感謝しています。進路を考えていた私としては、そっか、無理か。じゃあ大学行かない。となりました。
それくらいから映画音楽が好きだった事もありジャズを弾いてみたいと思いジャズの弾き語り教えますという教室に行き、ここでコードはほとんど覚えたり、先生のサポートでベースを弾かせてもらったり。その時にサポートされたドラムの方に聞かせてもらったカセットテープのピアノを聴いてこの人みたいに弾きたい!と思い坂下フミノ師匠を紹介していただきました。坂下さんと呼ばせていただいています。生徒さんを滅多に取らないと後で聞きました。お手伝いしながらピアノのスケールなどの基本を教えてもらいました。キューバにも一緒に連れて行ってもらい、私の初海外旅行はキューバでした。



それから…。(省きますが)
人との繋がりでありがたく仕事させていただいてきて。
四年前に頭打ち。それから、学ぶことが楽しくて…今は、ボタンアコーディオンを先生に習い、鍵盤アコーディオンは今は自分で譜面を買って弾いてみたかった事の難しさに、よし、がんばるぞ!と思っています。むかしの自分にも学ぶことの楽しさ教えてあげたかったな…と思います。自分でなんとかしようとしていたので(笑)
今が幸せです。





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