音の戸(Otonotobira)

2020.09.04 ジャンル:blog

otonoto手帳「ヤングケアラー」という言葉を知って

o「ヤングケアラー」という言葉を知ってo
偶然、先日
24時間テレビを見た時に、初めて「ヤングケアラー」という言葉を知りました。そして、その数は沢山いる

現在親の介護をしながら学校に通っている若者の姿を観て、「私、ヤングケアラーやったんかもな」と思いました。

私が小6の夏に、母が脳梗塞という脳の中の血管が切れてしまう病気になりました。運転中でしたが、なんとか路肩に車を止めて、父が同乗していたのでなんとか病院に運びました。

ここまで書いた事、小6の子供は誰にも話せません。当時私は何度もこの時の事を思い出し悲しく辛く泣きました。それでも、それからの生活の事も誰にも話せませんでした。

急にピアノのレッスンに通えなくなったり音大に行けない。だから、行かないと思考を変えたり

それでも、日々の生活の中で素晴らしい出会いもあります。子供も2人授かり、元気に育ってくれています。

私が最初の子を出産して育児が始まった頃に、空きが出た特養(特別養護老人ホーム)に母は入所させていただけることになりました。

この時、葛藤しました。。。母のことは私が守るって決めたやん。でも、このままだと子育て出来ない…

母を送り出した時の事は、忘れられません。

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数年お世話になりました。本当に感謝です。。。

昨年2月、施設の方々のご好意により、姉と2人で母の最期の時を見守り看取らせていただきました。この時に、施設の方々が定期的に見回ってくださり、お世話をしてくださる姿を見させていただきました。スタッフの皆様には感謝しかありません。

こんなに安らかに人は旅立っていくんだ。母は最期に私たちに身をもって教えてくれました。父も先に空にいます。もう心配ありません。

今も頑張っている若者がいる事を知り、私よりもっと大変な思いをしている若者がいる事を知り、「今、大変だろうけど、自分にしかできない事だからと思って、背負ってると思うけど、

いつか、頑張ってきてよかったんだと思える日が来るから、あなたがしてることは間違ってないから」と心の中でさけびました。

ありがたいことに、特養にお世話になってから、子育てしながら音楽の演奏の仕事をさせていただいてきました。今も音楽のお仕事にささやかながら携わらせていただいているのは、導きと決断ができたからだと思っています。

自分の今までを振り返ると大変な事もあったかも知れないけれど、人とのご縁がここまで導いてくれたと感謝を忘れません。これからは、音楽で癒せることを学んでいきます。それをいかして、音楽で人を癒せるような演奏をしていきたいと考えています。

ふと観たテレビからの情報で、自分を振り返る事が出来ました。

「ヤングケアラー」という言葉を知り、頑張っている人が他にもいると知り、自分だけじゃなかったんやー。と思い、なんだろう、頭の中が軽くなった、というのが正直な所です。

今、頑張っている方々に、「あなただけじゃないからね。」という思いでアップしました。



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